2014年1月4日土曜日

1月4日Sat.の「月例坐禅会」

■1月4日は、1月最初の土曜日。
毎月第一土曜日には、浅草・向島の曹洞宗 圓通寺(公式サイト)で、坐禅会がある。

先月は仕事で来られなかったけれど、そういことがなければ、毎月通っている。
たまには、そのことについて書こう。

圓通寺は、2011年7月に父が亡くなって、葬儀が終わってから探して、その後からお世話になっているお寺さん。

お墓は、父の生家のある、信州は佐久市に代々のものがあり、父のお骨はそこに納まっていて、法事のみ、こちらのお寺さんのお世話になっている。

四十九日法要が終わった後も、毎月の坐禅会があると知って、まず、母が通い始めた。
続いて自分も通うようになって、いまは母が行けない日も1人で行っている。

昨年に丸2年が過ぎて3回忌、ということは、坐禅会に通い始めて、2年近くになるのか。

■ちゃんとした坐禅は、そのときが初めてだった。

もともと小学生の頃から高校まで剣道をしていたので、こういう文化に親しみがある。

剣道では、稽古の始まりとと終わりに、正面に正座されている先生方の向かいに、並んで正座をして、「黙祷!(黙想、なのかもしれない)」の掛け声とともに、両手で印(法界定印:ほっかいじょういん)を組み、「やめ!」の掛け声(「なおれ!」だったかもしれない)で解いて、両手を前について「先生に礼!」顔を上げてもう一度、「お互いに礼!」。

あぐら座ではなくて正座だし、ほんの数十秒だけれど、あれも、坐禅のようなものだと思う。

お経については、中学校の修学旅行で日光に行った際に、オレンジ色の般若心経の冊子を自分へのおみやげにして、そのうちには暗唱できるようになった。
なんだか、興味があったんだね。

そのときはすでに、曹洞宗=般若心経は、禅宗であることを知っていた。
禅宗は、一般的に言うところの宗教や信仰、ときに攻撃的でさえあるそれらとはちと違って、哲学的というか理論的というか科学的というか。

小学生の高学年から中学生って、心も体も子供から大人への第一歩の年頃で、人間関係・友人関係・異性関係・親子関係のあれこれとか、ひいては、家出願望とか自殺願望とか、年齢的に、いろんな気づきがあって、感情のあれこれがあって、生きることの意味とか、哲学的なこともずいぶん考える時期だからね。

父の実家が、訊いても何教かわからんくらいの信心でありながら、葬式は曹洞宗であったので、般若心経だったし、漫画「はだしのゲン」で、ゲンがお経を詠む場面があるんだよね、それも般若心経だった。印象的で、記憶のどこかにあった。

■年末年始になると母の体調が悪くなる。

2007年の12月30日に、会社帰りに父が寄った大学病院で即入院と言われたけど、断って帰ってきて、例年通り、練馬で年明け。
父は床に寝てることが多かった。

明けて2008年1月4日から入院したのが、始まりで。

2008年1月5日Sat.「いまここ:父入院ス。

3年半の入退院、合計4回の開頭手術、合計2回のサイバーナイフ手術。

2011年7月20日Wed.「父が逝きました。

年末年始は、母にとって、精神的にも嫌なムードになるらしい。
そういう時期というか季節が、年に何度かある。

余談だけど、上記のエントリを探すために、「父が入院」と入れてmunelogを検索したら、2009年年末のまとめを書いたの(2009年12月29日Tue.「年賀ハガキはこれから。」)とか、いろいろヒットしてきて、その頃の思いの丈がぎっしり記述されていて、感慨深かった。



■話を戻して、今回の坐禅会。

14時に浅草駅のいつものところに待ち合わせ。
今回は、いつもの土曜日よりもうんと混んでいる。年始だからね。

交差点の歩道の混雑は、いつもどおりとはいえ、地下鉄のホームや改札は激混みだったし、普段に人が歩かないような道にまで人が来ている。
混雑の中で、数人で立ち止まったり、流れを遮るような動きをしている人も多い。

母と自分は、いつもどおり、遅めの昼食をしたり、お茶を飲んだりして、時間を調整する。



■言問橋を渡って、圓通寺。

根気強く継続され開催されているからか、スカイツリーが立って、そこからも程近いことからか、最近は毎回新しい参加者がある。
昨年からは、毎週日曜日の朝7時からも開かれているので、それもまた広めることにになっているんだと思う。

16時の開始前にいくと、初めての参加者に住職が説明をされている。
今回もそう。

この坐禅会は、このお寺にお墓を持っていたり、法事をお世話になっていなくても、どなたでも参加できる。
無料ではあるけど、みなさんいくらかは賽銭箱に入れられている様子。
自分もワンコイン、奉納?している。

坐禅は、だいたい40分程度。
だいたい、というのは、座ってから、開始の鐘が3つ鳴らされるまでの間も、しばらく住職のお話があることが多いから。
開始後に順に、警策(きょうさく)が打たれたあとは、ひたすら座る。
終了の鐘が3つ鳴らされて、終了。

坐禅の作法 | 曹洞宗 曹洞禅ネット

今回は、終了後に、足を崩して、年始の最初の坐禅会ですから、お経を唱えましょう、と、経本が配られて、参加のみんなで般若心経を唱えた。
これが良かった。

■帰り道。

帰路の母は、ゴキゲンになって、一緒に般若心経を唱えながら歩いた。

母は、父が亡くなって、自室に仏壇が来てから、そこでお経を唱えるようになったんで、経文をだいたい覚えている。
それは、父の天国での居心地を良くするものでもあると、住職に聞かされていたこともあるし、母として、父のために何かしていたいという気持ちの現われであると思う。

ここに来て、住職の顔を見ると安心する、とも言っていた。

以前に連れて行って、だましだまし歩かせたけど遠いと言われていたパン屋に行くという。
ほほー。それは良い。

歩く速度も、軽快。



石窯パン工房KAMEYA

パンを買って、お寺の近くを通りすぎ、夕食の場所を相談しつつ歩いて浅草へ。



昼食も、お茶も、夕食も、観光客があまり利用しない穴場といったところも、混雑がある日だった。



■最後に、ちょっとご案内。

日曜日の朝7時からの坐禅会には、一度は参加したいと思いつつ、まだ行けていない。

行くとしたら、自分1人で行く。もちろんそれも良し。
7時からの坐禅で8時、朝食を軽くして、11時45分からの東スイのレッスンに出る、なんて、日曜日の朝の過ごし方として、良いじゃない。

と、思うばかりで実践ができず。

もし、スイム仲間やラン仲間で、試してみたいという方がいたら、自分の動機にもなるので、お声掛け下さい。ご案内します。一緒に行きましょう。

■ついでに、過去の坐禅会のmunelogから最近のを2つ。

2013年7月20日Sat.「7月20日Satは坐禅会の後にちょいと寄った。

2012年2月4日「2月の坐禅会と浅草散歩。

ぐっない。

  

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